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「ウチナーンチュの心」

 1996/07/08

 6月29日の「唐獅子」執筆者新メンバーを見て、私はウチナーンチュじゃないのかしらと少々落ち込んだ。父は大宜味、母は首里で両親とも沖縄出身。姉は初めての出産だったため、母が実家に帰って生んだので出身地は沖縄となっている。大正9年のことだ。

 当時は樺太・サハリンで北洋漁業を展開していた父の傍から舟で北海道に渡り、汽車で函館に、青函連絡船で青森に着き、東京経由で大阪に。それから那覇までと、身重のからだで日本列島縦断のひとり旅をした母の実行力には感嘆する。

 二人目の私は大正12年、あの関東大震災のすぐあとに東京で生まれた。当然、出身地は東京となっているのが寂しくもあり、悔しくもある。とは言っても、血は百パーセント沖縄だから、「イチャリバチョーデー」の人なつっこさや「テーゲー主義」は、生まれつきのものだ。

 昭和18年愛知県出身の岸秋正と結婚した。新婚当初は家の隣は中村さんという人だった。私が法事のため主人の実家に一人で出掛けた留守中、中村さんの奥さんが夕飯のおかずを届けてくれていた。

 その話を祖母にしたところ、「きっとウチナーンチュだよ」と即座に答えた。しばらくして奥さんに聞いたら、ご夫婦とも沖縄出身で、自信にあふれた祖母の言葉は本当だった。その時、祖母は言った。「ヤマトゥンチュにはない心だよ」と。

 「ヤマトゥンチュにはない心だよ」とは厳しい表現であるが、沖縄の人々はこの温かな心もヤマトゥンチュにはおせっかいと受け取られることがある。

 しかし、おなかの大きい人(妊婦)が通り掛かったら、見知らぬ人でも食べ物を分けてあげるといった話や、悲しみに沈んでいる人には慰めの言葉よりおいしい料理を食べさせる方がよい。といった母たちの教えを私は大切にしたい。

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