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沖縄の活力をやまとに

『日曜討論』 2001年1月21日

 新しい年、新しい世紀を迎えたが、昨年に引き続き暗いニュースばかりで日本全体が意気消沈している。私は東京生まれの東京育ちであるが、父は大宜味村根路銘、母は首里の出身であるから故郷は沖縄だ。おおらかな沖縄の血を受けついでいるせいか、暗い話は性に合わない、なにごとも「なんとかなる、なんとかしなくては」と前向きに考えることが多い。この不況も第二次世界大戦後の焼け跡に立ったときのことを思えば、眠る家があり食べる物がある毎日はしあわせだ。なによりも健康であることはありがたく、毎朝、仏壇に線香をあげて感謝の念を表している。

 いまから7年前、平成5年の秋から始まったフジテレビ系の『料理の鉄人』で、味の審査員として毎週テレビに出るようになった。これは鹿賀丈史さん扮する食いしん坊の貴族が「おいしい料理を食べたい、新しい料理を知りたい、腕のいい調理人を見つけたい」ということで自分の館にキッチンスタジオを作り、お抱えの調理人、つまり和洋華の鉄人と挑戦者を同一素材をテーマに1時間の制限時間で闘わせる筋書きだった。

 鉄人、挑戦者、審査員、助手などの人選の相談をうけているうちに、私も味のジャッジを務めるはめになった。ちょうど満70歳で古希の記念にと思って軽い気持ちで引き受けたのだが、テレビは恐ろしい。視聴率が平均15.6%、ときには22%を超える人気番組となると、道を歩いていても声をかけられるし、握手やサインを求められて当惑することも多くなった。とはいっても食に対する関心が高まり、調理人を目指す若者がふえたことは、料理記者として45年間仕事を続けた私にとって嬉しいことだ。なお嬉しいのは講演会が増えて「食べることの大切さ」を直接、多くの人に語りかける機会が増えたのはありがたい。

 講演会のテーマは「おいしく食べて健康長寿」。日本はいまや世界一の長寿国だ。さらに自分のことは自分でできる、つまり自立して天寿を全うする健康寿命も74歳で世界一である。私自身、満で77歳、健康で仕事をしているが、これも娘時代に女子栄養学園(現女子栄養大学)の創立者香川昇三、綾夫妻のおかげである。「病人をつくらない食事の普及」が学園創立の目標で、私は1年間「なにをどれだけ、どうやって食べるか」ということを学んだ。綾先生ご自身がこれを実行して98歳の天寿を全うされたが、私も目標は98歳だ。

 講演会の中で、私は沖縄の食生活を実例に挙げて説明する。なにしろ沖縄は重寿世界一であるからだ。サミット開催地として注目された沖縄の食生活に関して、私は2冊の本を書いた。食は「沖縄にあり」がキャッチフレーズの『沖縄のうまいもの』(平凡社刊)、沖縄料理はみんなのご馳走『岸朝子のおいしい沖縄の食卓』(同文書院刊)であるが、どちらも沖縄の重寿の秘けつを紹介した。

 古くから豚肉をよく食べるうえ、魚介類や豆腐など良質たんぱく質を多くとる、緑黄色野菜や海草、いもの摂取量も多いバランスのよい食品構成である。

 名物ゴーヤーチャンプルーなど油を使うし、だしが濃いので塩味が薄く、血圧を上げる食塩の摂取量が少ない点も特筆に値すると。日本人の食塩摂取量の目標は10グラム以下であるが、現在平均は13グラム。これが大宜味村では約9グラムであると私は威張る。さらに、沖縄では老人を敬い大切にするため、老人が元気である。老人が元気であれば高齢化社会到来もこわくはないと、私は21世紀の日本に明るい希望を持っている。沖縄の活力をやまとにと、沖縄の心を多くの人に伝えていきたい。

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