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世界のウチナーンチュ

『日曜討論』 2001318

 去る215日、ロサンゼルスに出かけた。日系人対象の日刊紙「羅府新報」の招きである。月1回行われているRAFU倶楽部での講演会に招かれたのだ。ロサンゼルスを訪れたのは15年ぶりだ。

 講演会は市内のリトル東京にある日米劇場で17日に行った。タイトルは「クスイナターン−長寿県沖縄の食卓」としてあったが、料理の鉄人の裏話などしているうちにたちまち時間がたち、肝心の沖縄の食卓は90分の講演も話し足りない気がしたが、300人を超える聴衆のみなさんの反響はよく、笑い声や拍手もたびたび起きてうれしかった。

 講演会を企画し、取り仕切っている新垣喜久さんは、沖縄県出身、琉球新報社に長らく勤務され女性教室などのイベントを担当していたと聞く。13年前に渡米されたと聞くが見事なさい配ぶりであった。

 落語家の桂小金治、伝記作家の飯沼信子、女優の和泉雅子、作家の田辺聖子、タレントの京唄子さんと毎月の演者の顔ぶれもなかなかのものである。

 食生活ジャーナリストの岸朝子が「なぜ」と思われるが、実は2年前から『料理の鉄人』がアメリカで放映されているからだろう。ケーブルテレビのフードチャンネルで『アイアンシェフ』のタイトルで、ことばは英語の吹き替え。私もじょうずにしゃべっているという。「おいしゅうございます」のせりふも尾鰭をつけてもっともらしい英語になっているとか。ニューヨークに住む和の鉄人森本正治さんが「岸さんはアメリカではロイヤルレディと思われている」といっていた。週1回で始まったのが現在は2回になり、人気番組となってファンクラブもできているということだ。

 ロサンゼルス到着の夜は、北米沖縄県人会の方たちが歓迎の小宴を開いてくださったり、日本各県人会の集まりである南加県人会協議会の新役員就任式のパーティーに招かれたりで、多くの沖縄出身の方たちと話し合う機会があった。思いがけない親せきに出会ったりもした。その中でみなさんが「第3回世界のウチナーンチュ大会」を楽しみにしていられることに感銘を受けた。

 5年ごとに開かれるこの大会は、昨年はサミットがあったため1年遅れて6年目のことしに開かれる。「なくなるといううわさもあって心配したのよ」と話す人もいたが、家族連れ立っての大会出席を楽しみにして、参加費用を毎月積み立てていると聞き、胸が熱くなった。ことしの大会は出席者参加型になると聞く。民謡や舞踊に参加できる機会もあるらしいというわけで、いっそう張りきっていた。

 滞在最後の夜、島袋盛市民謡研究所と新垣幸子舞踊研究所豊踊(とよむ)会の新年会に主席した。盛市さんが沖縄民謡を、幸子さんが沖縄舞踊を教えておられる会で200人近い出席者で、三線や唄、踊りなどで盛り上がっていた。会員が手作りの料理を持ち寄って30品以上。サーターアンダギーはもちろん、ラフテー、クーブイリチーなど沖縄料理がずらりと並んでいた。まさにロサンゼルスの中の沖縄であった。2世、3世となると英語しか通じない若者もいたが、「芸能や料理はだれにも通じる伝統文化である」という。三線や舞踊の教室も多い。子どもたちも目を輝かせて唄い、踊っていた。

 昨年1月、ハワイで行われた沖縄県人移住100周年に参加した際にも感じたことだが、故郷を思う世界のウチナーンチュにとって沖縄の伝統文化は心の支えであり、誇りでもある。「ちゅら海、ちゅら島、ちゅら心」とサイン帳に記しながら、私もウチナーンチュであることを誇りに思った。

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