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長寿村の「ここちよい暮らし」 (4)

 岸 朝子  

長寿食を世界に発信

以上のような沖縄の食べ物を、大宜味村の人たちは守り、育てています。再び照屋村長の話です。「大宜味村に長寿の秘密を探ろうと、外国や本土から毎日のように取材に来るけれど、近ごろは村での生活を体験してもらおうという企画もあります。厚生省のウェルネス計画というのもあって、本土から20人、60人と団体で来て、伝統料理を食べたり、作り方の講習を受けたりしています」。

料理講習会の主役は管理栄養士の金城笑子さん。女子栄養短期大学出身で私の後輩に当たります。大宜味村の特産物を生かした料理「長寿膳」を食べさせる「笑味(えみ)の店」のオーナーシェフです。ジュースを搾ったあとのシークヮーサーの皮を利用して蒸しカステラや餅、アンダーギーを作ったり、これも特産のウコンを料理や漬物に利用したりと大活躍。さつま芋の葉の炒め物やニガナのスーネー(白和え)、シークヮーサーの汁を加えて柔らかく煮込んだラフテーなど盛りだくさんのメニューです。粟やきびなど昔の人が常食にしていた雑穀を混ぜたおこわなども懐かしい味です。

さらに村長さん、「栄養学の先生が南米やハワイに移住した人たちの食生活を調査したら、大宜味村出身の人たちは一世、二世とも、今でも大宜味村の素材で料理を作っていて、長寿なんだそうです。沖縄の純粋な方言も残っていると驚いていましたよ」。

もちろんこの村の中でも伝統料理を大切にしています。昔の料理を復元して学校給食の献立にも入れているということです。最近、那覇あたりの市街地では学校給食に沖縄料理を出すと、残す子どもたちが多いと聞きました。各家庭で作る機会が減っているせいかとも思いますが、これは日本全国に見られる傾向です。主婦の調理離れが進み、調理済み食品や市販のおそうざい、ときにはコンビニエンス・ストアの弁当ですませる人たちが多いことを考えると、伝統食を大切にしている大宜味村の人たちはしあわせだと思います。

伝統食といっても、沖縄はその歴史のなかで、いろいろな風にさらされてきました。400年あまり続いた琉球王朝時代には中国と日本の役人をもてなすために、それぞれの国へ料理修業に人を送ったと聞きます。加えて王朝最盛期の“大航海時代”には中国、朝鮮のほか東南アジア各国との交易が盛んに行なわれ、沖縄の文化に影響をもたらしました。チャンプルーという料理名も語源はインドネシアのチャンポラとのこと。混ぜ合わせるという意味で、長崎のチャンポンも同じと聞いて、なるほどと合点がいきます。さらに第二次世界大戦で国内唯一の戦場となった沖縄は、敗戦後27年間、米政府の施政下に置かれました。ここでアメリカの風に吹かれ、アイスクリームは「ブルーシール」一辺倒。ツナ缶やポーク缶が定着してチャンプルーの材料ともなっています。タコスの具をご飯にのせたタコライス弁当などというのもあります。

しかし、沖縄県民のおおらかさというか楽天主義、方言でいうテーゲー主義ですべてを包み込み、一方で、長寿世界一の沖縄の食文化を世界に発信しようとしています。大宜味村という小さな村にも、その力がみなぎっているのです。

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